今日は十三夜のお月見の日。
秋のお月見というと「十五夜」が広く知られていますが「十三夜」(じゅうさんや)や「十日夜」(とおかんや)というお月見の風習をご存じでしょうか。
十三夜の月は十五夜に次いで美しい月、といわれています。
十五夜では月の神様に豊作を祈願し、十三夜では秋の実りの収穫に感謝を、十日夜には来年の豊穣を願い稲刈りが無事に終わったことで田の神様が山へ帰る日とされています。
ちなみに、十五夜と十三夜のどちらか一夜しかお月見をしないことを「片見月」や「片月見」と呼び、縁起が良くないという言い伝えも。
十五夜にお月見をしていたら、ぜひ今夜の月夜も楽しんでみてはいかがでしょう。
とはいえ、あまり形式にとらわれすぎず、栗ご飯を炊いたり、月見うどんや月見蕎麦、秋の旬物素材を使ったものを食べたり、道端のススキを見かけたり、皆さまがそれぞれ自由に過ごす中でふとこの話を思い出したら夜空を見上げてみる、というくらいでもいいのではないかと思ったりします。
十五夜、十三夜、十日夜がすべて晴天に恵まれると、とても縁起が良いそうです。
お月見というと満月のイメージが浮かびますが、十五夜がほぼ満月なのに対して、十三夜は満月になる前の少し欠けた月が見られます。
十五夜は中国から伝わったものですが、十三夜の月を愛でる風習は日本独自に生まれたもの。
月の満ち欠けの周期を考えるとそもそも十三夜に満月となることはなく、古来より日本人は満月よりも、これから満ちていく少し欠けている月に美しさを見出し、趣きを感じていました。
「不足の美」「未完成の美」「余白の美」「引き算の美学」 という価値観。
この、完全ではないものを美しいと称える感覚や、「十三夜に曇り無し」という言葉があるほどに晴れ渡ることの多い気候によって、十五夜と合わせて十三夜の月も愛でられるようになったとされています。
「美しい」というのは、その月(対象)にあるのではなくて、それを見ている人の心(主観)にあるわけですね。
目に見えるものがすべてではないことを表しているようにも感じられます。
そして、西洋の美とされる幾何学的な秩序や規則的なシンメトリーもまた美しく、人々の〝美〟に対する感覚は一様ではないことがわかります。
日本人独特のその美的感覚は、月だけではなく、絵画や建築や工芸品、和歌など、日本文化の根底に表れていて、今ではその美意識や考え方そのものがたくさんの世界の人々にも受け入れられるようになってきていると感じます。
そんな感性や心の在り方をずっと紡いでいきたいですね。
それでは、また次の更新をお楽しみに。